経済・政治・国際

2011年3月11日 (金)

東北大震災、  東日本大震災

その時私は一人で家にいた。家内は近くのスーパーに買い物に出かけていたのです。私は午後3時からのテレビ番組の録画撮りをするためリモコン操作をしていた。

時間は午後2時46分ごろ、何やらぐらぐらと地震を感じ「おや?地震だ」と身構えたとたん揺れが横に大きくなり家具ががたがたと大きな音を立てて動く感じがしました。

「これは大きい地震だ・・・・・」とっさに立ち上がるとストーブを消し玄関の扉を開放、その間揺れはますます大きくなり茶箪笥から湯飲みやコップが落ちてガチャンと大きな音で割れました。

棚の上にあった箱類は物の見事に部屋に落ちてバラバラ、あちこちつかまりながら外へ出て辺りを見回すと道路には人が大勢出ているではないか。

車庫にあった自家用車はまるで誰かがゆすっているようにぐらぐらと弾んで壁に当たらんばかり、思わず顔面蒼白「どうしよう・・・・何をすべきか」と考えたようだが思い出せない。

かなり長かったように思うがやがて少し収まって来た。この世に生を受けて初めての経験、関東大震災は母から話は聞いてはいたが多分そのようなものだったと思う。

テレビでは大津波がやってくるから高台に避難するよう避難警告を発進。そうこうしているうちに画面いっぱいに映し出された大津波は物凄い速さで陸に迫ってきた。

もうとても正視していられない出来事であった。正に地獄絵そのものであったと思う。

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震災から1週間たって次々と不幸が重なってきた。大津波の後は原発の想定外の大事故自然は科学の粋を結集した建造物を次々と破壊していく。

原子炉建屋は破壊され燃料棒がむき出しにされた。空気中に排出される放射能、人間の決死の努力をあざ笑うかのように危険が高まっていく。

今日で3日目の計画停電。この画像は戦時中の空襲を思い出す。まっ暗闇の中で石油ストーブだけが赤い。そして懐中電灯の明かり、戦時中はロウソクだった。

今回の地震では家の破損は免れたが次に同じような地震が来れば家がつぶれるかもしれないと思うと恐ろしい。

津波で犠牲になった方々に心からお見舞いを申し上げます。すべてを失って避難生活をされている方々にはかける言葉もない程辛い。

復興には時が必要だが何年かかるか予想も付かない。日本も国際社会の1国として各国の援助も得ながら立ち上がらなければならないと思う。

スーパーの食料や非常物資をわれ先に買いあさるのだけは絶対止めて欲しい。昔のように一つのパンを半分づつ分け合って食べあうべきだ。

書きたいことは色々あるが都知事ではないが今の日本人は我欲が強すぎる。自分さえよければという我欲をもっと抑えるべきだ。

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